懐古ism

新しく綺麗なものだけが美しいとは限らない。 古びて傾き、壊れ、錆びつき、朽ちていく物にこそ宿る美しさがある。

豊田市小渡町・島崎町 (3) 

2013/02/27
Wed. 20:30

島崎町の田んぼから下切町の集落を望む。
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その近くにある超ローカル史跡。田中民部の墓。
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その横に旭町商工会による解説文がある。
旭町とは小渡町・島崎町・下切町等を含んでいた町で、2005年に豊田市に編入されて消滅した。
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それにしてもケッタイな看板である。
説明文が略しすぎで、ほとんど意味不明(クリック拡大すればよく見える)。
絵も妙である。「墓」と書くべきところが「暮」になっている!
お供えされるはずの銭が投げつけられている。
実物には「之」が入ってない。わざとやってるんではないか?


その下にはもう少し詳しい説明文がある。
黒地に白字の板と、その逆のものと2枚あるが、どういうわけか、ほとんど同じことが書かれている。
旭町商工会の看板に比べればもう少し多くの情報が入っている。
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これでもまだ情報が足りないのだが、情報不足の部分に私の想像を勝手に加えながら要約すると、下のようになる。

田中民部は丹波の国篠山の神職で、諸国を遊歴していた。
たまたま小渡へ来たとき病気が悪化して動けなくなった。身体の皮膚の一部が崩れ落ちる状態であった(梅毒ないし癩病か)。小渡村の人たちは困って民部を舟で下切村に送りつけた。そして下切村の河原の小屋で村人達が交代で看病することになったが、間もなく亡くなった。文化6年 (1809年) 8月のことであった。

その後、民部の遺品に触れた者が発狂するという事件があった。それで村人の間では、「奴が病の床の民部を見捨てたのを恨んで、民部が祟って出たに違いない」ということになったのであろう。その発狂者が実際に民部を見捨てた人なのかどうかは知らないが、勝手に想像すればそういうことなんである。
また、その発狂者が下切ではなく小渡の人だとしたほうが物語としては辻褄が合うが、それも不明である。むしろ遺品に触れた可能性の高いのは下切の人であろう。
さらに、「その発狂者は村人達に次々と襲いかかり、多数を殺害した」などと話が続けば「八ツ墓村」の世界になるのだが、別にそういう事実はなさそうである。

祟りを恐れた村人たちは、その遺品を(たぶん粗末な)民部の墓の傍に埋めた。すると、その発狂者は恢復した。そして試しに民部と同病の人がこの墓に祈ると効き目があった。これを伝え聞いた人達が日夜この墓を詣で、賽銭が20両に達した。

そして文化13年(1815)、村民が一致協力して、それまでの粗末な民部の墓に代えて立派な石塔を建てた。これが現在に残る「田中民部の墓」である。

それにしても、遺品の中に「紀行文」があったというのが非常に気になる。これは民部自身が書いたものだろうか。だとしたら読んでみたいものだが、多分現存してないだろうな。
井上井月(つげ義春の作品等に登場する人)を連想させる人物である。

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